湘南サイクリングクラブ

2017年5月10日


 <第19回クラブラン>

 

 ・日時:5月10日()

 ・コース:鎌倉海浜公園 ~ 御霊神社(権五郎神社) ~ 光則寺 ~ ラッテリア べべ カマクラ(昼食) ~ 古我邸 ~ 海蔵寺 ~ 浄光明寺 ~ 八雲神社・大町会館(ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語ロケ場所) ~ 安国論寺  解散1530分 (約12キロ) 

 ・参加:8名

 

今回は梅雨に入る前の、緑濃く、可憐な花が咲き誇る鎌倉を自転車で散策する企画でした。

  

天気予報では朝には止む予定の雨が集合時間になっても止む気配がなく、開催が危ぶまれましたが、参加予定者8名全員が集合。雨にも負けず、風にも負けない、湘南サイクリングクラブの強い結束力に感謝!

 

公園駐車場入り口でレインコート姿の集合写真を撮影後、全員で鎌倉海浜公園をスタートすることが出来ました。

  

霧雨の降る由比ヶ浜の海岸線を走り、長谷の御霊神社に到着。御霊神社は、平安時代に鎌倉や湘南地域一帯を領地とした鎌倉権五郎景正を祀る神社。参拝後、神社の前を走る江ノ電の撮影。シャッターチャンスを逃すまいと皆、真剣にカメラを向けていました。

  

次に向かった光則寺は長谷観音の裏手にある閑静な寺。観光客も少なく落ち着いて散策ができました。花の寺として有名で、躑躅は見頃を過ぎていましたが、シャクナゲやミヤコワスレ等々、庭一面に花が咲き乱れており、花大好き女子メンバーも満足の模様。寺の上手にある日蓮の弟子、日朗が監禁された土牢の前で記念写真を撮影。

  

光則寺を後にして、鎌倉文学館、吉屋信子記念館などが並ぶ裏道を走り、六地蔵を横目に見ながら御成り通り裏にある「ラッテリア べべ カマクラ」に到着。チーズとイタリアンが人気のお店で、ゆったりとおいしい昼食を頂きました。

  

昼食後には雨も上がっており、皆レインウエアを脱いで、軽やかな気分で午後のランをスタート。午後初めの立ち寄り先は鎌倉の三大洋館として有名な古我邸。2年前にフレンチレストランとなり一般公開された洋館。この建物は大正時代初めに三菱財閥の関係者が別荘として建てられたもので、関東大震災以降、内閣総理大臣、濱口雄幸や近衛文麿がここに居を構え、戦後にはGHQに接収され、将校クラブとして使われたとの事。ここで記念写真をパチリ。これでクラブとしては前回の鎌倉ランに続き、鎌倉の三大洋館を制覇することが出来ました。

  

古我邸を後にし、鎌倉の谷(やつ)の中にひっそりと佇む海蔵寺に到着。このお寺も花の寺として人気があり、可憐な花が咲き誇っていました。本堂の裏手には庭園があり、庭園横のやぐら(横穴、墓墳)からその庭園を眺めることができます。庭園は綺麗に整備され、その一画に咲く花ショウブの花の紫が目を癒します。寺の本堂前で集合写真を撮影後、薬師堂裏手の岩窟内にある十六の井を見学。岩窟の床面に縦横計16の丸穴があり、水が湧き出しており、皆その神秘的な空間を見、神聖な気分を味わうことができたのでは・・・。

  

海蔵寺から次の目的地に向かって走る途中、浄光明寺に立ち寄り、本堂横にそびえ立つ槇の木の下で少々談笑。その後、大混雑の小町通りでは、自転車から降りて、押し歩きで先に進むこととなりました。天気に関係なくこの通りは常に大混雑です。我々は混雑を避け、段蔓を横断して小町大路から、八雲神社に向かう小道に向かいます。

 

八雲神社は鎌倉最古の厄除け神社であり、神社横から祇園山ハイキングコースに入る入口があるのも有名ですが、現在NHKTVで放映している「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語」のロケ地となっていることはご存知でしょうか。神社社務所に入る道路とその横に建つ大町会館が主要のロケ地。番組を見ているメンバーもその話題で盛り上がりました。

  

最後の目的地である安国論寺には午後3時頃到着。花の寺として人気のあるお寺です。日蓮が鎌倉で最初に結んだ松葉ヶ谷の草庵の跡と伝えられており。また日蓮が執権の北条時頼に提出した『立正安国論』を執筆したという説もある寺です。

 

この寺の裏山にある富士見台からは富士山や、由比ヶ浜海岸や材木座の街並みが一望できるのですが、今回は雨上がりの濡れた階段を山頂まで登るのは諦め、庭の花を観賞して終了。

 

ここで解散となり、各自帰路に向かいました。

  

鎌倉は前週までのゴールデンウィークの大混雑が終わり、梅雨の紫陽花フィーバーが始まるまでの間のこの2~3週間が比較的観光客も少なく、静かな時期となります。今回はそこを狙って「春の花」を楽しむサイクリングを実施しました。春の華やかな花の時期は少し過ぎており、また霧雨が降るなど、少々残念な点もありましたが、初夏に向かう新緑の木々を眺めながら閑静な寺社に咲く可憐な花を巡るサイクリングで、晩春の鎌倉を楽しむことが出来ました。                   

 

 間瀬 亮三 (昭和54年卒)