健康ウォーキングの会

2018年2月22日(木)



健康ウォーキングの会 2月例会

 

実施日 : 2月22日(木)

参加者 : 8名

コース : 茅ケ崎駅南口 ~ 高砂緑地 ~ 文化資料館 ~ 氷室椿庭園

 ~ 茅ケ崎公園 ~ 茅ヶ崎館 ~ サザンビーチ ~

 しおさい南湖 ~ 旧南湖院庭園 ~ (南湖院道) ~ 六道の辻 ~ サザン神社 ~ 茅ヶ崎駅南口

 

茅ケ崎ゆかりの人々をカテゴリー別に見ていくと

 歴史…西行、大岡忠相、藤間柳庵、仮名垣魯文、添田啞蝉坊

 文学…開高健、城山三郎 

 絵画…速水御舟、小山敬三、萬鉄五郎、三橋兄弟治、青山義雄

 音楽…山田耕作、中村八大、加山雄三、平尾昌晃、尾崎紀世彦、桑田佳祐

 映画…小津安二郎、上原謙、大庭秀雄、乙羽信子、森田芳光、松坂桃李

 南湖院…高田畊安、国木田独歩、平塚らいてう、八木重吉、徳富蘇峰

 別荘…九代目市川団十郎、川上音二郎、貞奴、原安三郎、ルドルフ・ラチエン

 文化…イサムノグチ、木村義雄(将棋)、ピストン堀口、永六輔

 何と大勢の人々がいるのだろう。

 

今回その一端に触れていただくことができればと企画したのだが・・・。

 

朝は生憎の雨模様の寒空で実施が危ぶまれたが、ウォーキングを愛する8名の会員が茅ケ崎に集ってくれた。出発前にメンバーの中込さんから「うちの枝垂れ梅がきれいだから寄りませんか。」とのお誘いがあり、駅から10分弱のお宅にお伺いしたところ、良く手入れされた庭に枝垂れ梅ほか多くの植物を拝見することができました。のみならず何と「甘酒と茶菓子」をご馳走になってしまい一同恐縮!・・・中込さんご夫妻~ありがとうございました

 

高砂緑地は九代目市川団十郎(1897年に別荘「孤松庵」建立)を慕った川上音二郎(オッペケペー節で有名)貞奴夫妻が別荘「萬松園」を建てた。その後、

 日本火薬会長の原安三郎がその敷地と周囲を併せて購入、その敷地の北東部に南欧風建築の母屋「松籟荘」を建てた。その庭には三重塔、石灯籠、多くの梅の木が残っている。

氷室椿庭園は元三井不動産副社長だった氷室捷爾・花子夫妻の自宅と庭園。250種類の椿が観られるのだが、今年の冬は寒かったので盛りはまだ大分先のようだ。幸いなことに最も有名な「氷室雪月花」が7~8輪咲いていた。

 

茅ヶ崎館は1899年開業。避暑や避寒のために逗留する客が中心だったが、同年

 に開院した南湖院の見舞客にも利用されていた。松竹が蒲田から大船へ移転してからは松竹の定宿となった。小津安二郎監督は脚本家野田高梧と二番の部屋で「晩春」「麦秋」「東京物語」など代表作の脚本を書きあげている。映画マニアは二番の部屋を指定して宿泊するようだ。広間棟、中二階棟、長屋棟、浴室棟が国登録有形文化財となっている。

 

小津監督が茅ヶ崎館から海岸に出るときに通った道を進むとR134、そこを過ぎればサザンビーチ。サザンCのモニュメントでは写真を撮っている若いカップルを見かける(縁結びのため)ことがあるが、今日は我々もそれに倣って集合写真をと準備していたら、地元の女性サイクリスト(ビアンキのロード・バイクに乗っていた!)が「撮りましょうか。」と声を掛けてくれた。親切に何枚も撮ってくれたのには我等一同いたく感激!!

 

「しおさい南湖」は市の高齢者施設で市在住高齢者であれば無料で利用できる。今日は非常に寒い日だったので暖房の効いた部屋での昼食で一息つくことができた。ここでもサプライズありで、近くにお住いの河野里枝さんがチョコレートを持ってわざわざ訪問してくれたのみならず、昼食後皆でお宅にお邪魔して本人・ご家族の絵画作品鑑賞とコーヒーまでご馳走になってしまった。ご主人にもお付き合いいただきました。本当にありがとうございます。

 

南湖院は高田畊安が結核撲滅のために1899年に開設、東洋一のサナトリウムと言われ、敷地は最盛期には五万坪、建物は四千五百坪もあった。彼は濁音を嫌っていたため「ナンコイン」と呼ばせていた。

 医師にしてクリスチャンである畊安は治療のみならず魂の救済にも重きを置いていたようである。畊安は1892年勝海舟の孫である疋田輝子と結婚、また南湖院に最初に入院した三人の内の一人が海舟の妻たみである。敷地内には第一病舎「竹子室」のみが当時のまま残っている。昨年末に国登録有形文化財に登録されたので、数年後には内部も一般公開されるものと思われる。南湖院の跡地には現在太陽の郷、茅ヶ崎西浜高校、西浜中学が建っている。

 

 帰路は昔の「南湖院道」に沿って茅ヶ崎駅に向かった。開院当時茅ケ崎駅には

南口がなく、北口から大踏切(現在はツインウェーブ)を渡り、六道の辻経由で南湖院に向かっていたようだ。

 

今回のウォーキングはDeepな茅ヶ崎というよりWarmな茅ケ崎になったのは嬉しい誤算であった。時間の関係で廻り切れなかった所は次回に巡りたいと思う。

           

                       昭和49年卒  横山 司 

 

                   

 

 


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